ドラえもん 1

 

 

 ■こんにちは、藤子不二雄です

 どうでしたか?ドラえもんとセワシくん、そしてのび太くんの活やく。これから、もっともっとおもしろくしていきますから、みなさんもじゃんじゃんおうえんしてくださいね。え?わたしがふたりいるって?そうなんです。わたしは、ふたりでひとり。ふたりでなかよく、ドラえもんを楽しくしようとがんばっているんです。みなさん、これからもよろしくね。

昭和45年 小学館刊 『小学四年生』1月号より  

 

 ■作者のことば

 ぼくは不思議なことが大好きです。空飛ぶ円盤とか、ネッシーとか、超能力とか……。
 それで、そんな不思議なものがいっぱい出てくるまんがをかきたいなと思って“ドラえもん”を考えたのです。ドラえもんのポケットは小さいけど、出てくる不思議な道具にはかぎりがありません。きっと、ポケットの中が四次元にでも、つながっているのでしょう。
 ぼくは、とても楽しく“ドラえもん”をかきました。みなさんにも、楽しく読んでいただけたらうれしいと思います。

昭和49年 小学館刊 『ドラえもん』第1巻より  

 

 ■奇妙奇天烈摩訶不思議

 僕は(正確には僕等ですが)しばしばSFまんが家と呼ばれることがあります。SFは大好きなので悪い気はせず、いつとはなし自分もその気になっているのですが、厳密に過去三十年間の作品を振り返って見直すと「これこそSFだ!」と胸を張って宣言できる作品は、実は一つもないのです。
 SFのS、つまりサイエンスにとりわけ弱いということもあって、どれもこれもSFもどきの段階に止まっています。マニアの目から見れば、恐らく穴だらけでしょう。だからもし、誰かが「こんなのSFじゃないぞ」と言われるなら、即座にSFまんが家の看板を降ろしても良いのです。
 しかし、全作品の中にSFもどきまんがが、圧倒的に多いのは事実です。デビュー作の「天使の玉ちゃん」これはファンタジーです。最初の単行本「ユートピア」ロボットが人間を征服する話。最初の雑誌連載が「四万年漂流」タイム・トラベル物。そして……。
 現在進行中の「ドラえもん」これは本来、生活ギャグまんがなのですが、SF的要素も多量に含まれています。ドラえもんのポケットから出てくるマカフシギな道具、及びそれによってひき起こされるトッピな事件などがそれです。そしてこのパターンは、形こそ違え「オバケのQ太郎」「パーマン」「怪物くん」などでも、飽きもせず繰り返されている物なのです。
 全く、三十年間飽きもせず、です。なぜそんなにもと問われれば、書きたかったからと答えるしかありません。好きだったから、と答えるしかないのです。多分、ほとんどのまんが家は、書くことに熱中する以前に、読むことに熱中する時代を経過しているはずです。そしてそれは、幼年期の読書体験(現在は、むしろテレビ体験?)に根ざしていると思うのです。
 僕の読書初体験がなんであったか、記憶は定かではありません。絵本、童話、まんが…さまざまですが、中で強烈な印象を残したのが「孫悟空」です。これによって初めて“作り話”の面白さを思い知らされたのです。以後“奇妙奇天烈摩訶不思議”なストーリーを追い求め、読みあさることになっただけでなく、今では書き続けることの原動力にまでなっているのです。
 ドラえもんを読み返してみて、中にチラチラ孫悟空の影を見つけることがあります。この偉大なサルの超能力、飛行、変身、分身、縮身、巨大化などは、そのままタケコプター、動物変身ビスケット、フエルミラー、ガリバートンネル、ビッグライトなどに置き換えることができるのです。してみると「西遊記」はSF?いや、もうそんな定義はどうでも良いように思えてきました。

昭和56年 小学館刊 『藤子不二雄自選集1 ドラえもん SFの世界1』より  

 

 ■ナントカカントカ

 「よくアイディアが尽きませんね。あんなにいろいろの道具を、どうやって考えるんですか。」と、しばしば聞かれます。言われてみれば“ドラえもん”を始めて十一年。道具の数にして約七百種。まあよく続いていると、自分でもそう思います。
 このアイディアという奴。これは別に、頭の中の倉庫から必要に応じ一個ずつ取り出して…という物ではないのです。漫画家は、問屋や取次店ではなく、メーカーでなくてはならない。要するに締切りが迫ると机に向い、あるいは喫茶店で、あるいは寝床の中で、ナントカカントカひねり出すわけです。だからご心配いただくような“在庫切れ”ということはないのですが、ひねり出すまでに至る“ナントカカントカ”の段階で毎度七転八倒していることも事実であります。
 “ナントカカントカ”の始まりから終わりまで、つまり一つのアイディアがどういう経過をたどってひねり出されるか。それを具体的に詳述するのは困難です。何分にも捕えどころのない頭の中のことですから。ほんのちょっとした思いつきを頼りに、ふくらませたり引きのばしたり引っくり返したり…。全く行き当りばったりジタバタもがいているうちに、ナントカカントカまとめ上げるという作業を、漫画家になって以来三十年間くり返してきたわけです。
 しかし「どうやって考えるか」との問に「ナントカカントカ」とだけしか答えられないのでは、あまりにも素っ気なく失礼というものです。ほんの少しでも具体性をもった返答ができないものかと永年考えていたところ、やや納得できる回答が見つかりました。SFの大家アイザック・アシモフ氏のエッセイ集「空想天文学入門」早川書房刊であります。この中の「とほうもない思いつき」という章で、独創力のための条件として、1数多くの知識の断片を持つこと。2その断片を組み合わせる能力を持つこと。などが挙げられているのです。「断片の組み合わせ」いわれてみれば正しくそうでした。ぼくが三十年間やってきたのはこれだったのです。例えば…。
 “のび太の恐竜”という作品があります。“恐竜”という断片が核になっています。これが古代の生物であるということは、全ての人の持っている知識です。これを“のび太”という現代の少年と組み合わせることから“ナントカカントカ”が始まるわけです。時代のギャップを埋めるために“タイムマシン”という断片が援用される。“動物を飼いたがる子”“飼いたがらない親”“目立ちたがり屋”“化石”“フロシキ”“住宅事情”…。その一つ一つを取ってみれば誰もが知っている断片を、組み合わせることによってこの作品は成り立っているのです。実にあっけないほど簡単なことではありませんか。
 でも、それを“面白くする”のが大変なのですよ。“ナントカカントカマシン”をドラえもんが出してくれないものかと、僕は本気で考えているのです。

昭和56年 小学館刊 『藤子不二雄自選集2 ドラえもん SFの世界2』より  

 

 ■ナンセンスもどきの世界

 ナンセンス──1意味をなさない事柄。意味を持たない事柄。また、そのさま。無意味。3実際にはありそうもない、通常の論理を踏みはずした事柄。また、そのさま。
                     (日本国語大事典より抜すい)

 この自選集の内、ドラえもん七巻については一応ジャンル分けがなされています。SF・ナンセンス・風刺・夢と冒険の世界というわけです。ところが、この分類が実はかなりあいまいなのです。ハッキリ言って。
 なぜあいまいかと言うと、それは“ドラえもん”というマンガの性格による物なのです。生活ギャグという分野をずっとやってきて、この辺で集大成みたいな作品を書きたいと思い立ったわけです。SFあり、ナンセンスあり、夢も冒険も、その他何もかもブチ込んだゴッタ煮みたいなマンガをと…。それがドラえもんなのです。だから一つひとつの作品に、いろんな要素が重複して入りこんでいるのです。選集の体裁上一応の分類はしました。一・二巻“SFの世界”は、上記のような理由で、比較的SF色の強い物を選びまとめました。今度は比較的ナンセンス色の強い作品集を、というわけです。
 ナンセンス漫画といっても、これまた厳密な定義はないのです。ギャグ漫画すべてをひっくるめてナンセンスと呼ぶ人さえいます。ぼくの個人的な印象では、例えば筋の運びが1+1=11となるのはユーモア漫画。1+1=3、4、5→8となるのがナンセンスではないかと思うのです。常識を拒否し、論理を踏み倒し、飛躍、また飛躍!読者にとっては一コマ先が闇というのが優れたナンセンス漫画であると考えています。かつての杉浦茂氏。現在の赤塚不二夫君を、その世界の雄(オスではない。ユウとお読み下さい。)と呼ぶべきでしょう。

 ナンセンスに徹した漫画を書くのは実にむずかしい。何度かアタックしたことはありますが成功しませんでした。ドラえもんが、いくら奇想天外な道具を出しても、それだけではナンセンスにならない。筋運びが問題なのです。どうしても話が、因果関係を離れずには展開しない。かといって何でもかんでもデタラメを書けばいいという物ではない。意外性とか、はぐらかされた驚きに、生理的な快感が伴わなければ、読んでいて面白くもなんともないわけです。実にむずかしい。と、いうわけでこの巻は“ナンセンスもどきの世界”です。

昭和56年 小学館刊 『藤子不二雄自選集3 ドラえもん ナンセンスの世界1』より  

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