オバケのQ太郎

 

 

 ■作者のことば

「オバQ」はぼくたちにとって、一番思い出のある作品です。五年まえ、「オバQ」がスタートしたのは、中野にあったスタジオ・ゼロのボロ・スタジオででした。石森章太郎氏が自分の仕事をうっちゃって協力してくれたこと(感謝!)も忘れられません。〔第1巻〕

困ったとき「消えてしまえたらな」と思います。いそいでいるとき「空が飛べたらな」と思います。好きなときに昼寝して、テレビもまんがも見ほうだい…。現実にはできないそんなユメを、オバQには思いきり果たさせてやりました。〔第2巻〕

Q太郎は人間の世界に生まれた、ただひとり? のオバケです。だから親友の正太がいても、時どきさびしくなるのです。雑誌に連載中、Qちゃんに同情した読者から、「オバケの家族を出して」とお便りをいただきました。そうして登場したのがP子です。〔第3巻〕

この巻に出てくる幻灯機はぼくらが子どものころつくったものです。オバQには、ぼくらの少年時代の遊びや空想を題材にした話がほかにもたくさんあります。木の上の家、有線放送、重力自動車、坂道鉄道などです。〔第4巻〕

「ライバルが必要だな」連載が二年目に入ったころ思いはじめました。徹底的に憎たらしくて悪らつな奴をと、つくったのがアメリカオバケのドロンパです。でも、いつの間にか作者がドロンパを好きになってしまいました。〔第6巻〕

オバQには特定のモデルはありません。でも部分的に、いろんなひとからヒントをもらいました。友人たちや家族や。だれにでもマンガ的な一面はあるものです。それを作者の分身にミックスしたのがQ太郎です。〔第7巻〕

小池さんというラーメン好きの人物がときどき出ます。これはスタジオ・ゼロの制作部長・鈴木さんがモデルです。当時、かれの下宿していた家の名をかりて、小池さんと名づけました。実物はもっといい男です。〔第8巻〕

オバQ・P子・ドロンパなどは藤本の受け持ち。正ちゃん・伸一・小池さんなどは安孫子の担当。だから、かたっぽが別の仕事でピンチのときは、その受け持ちの人物がなるべく出ないような案をかんがえました。〔第9巻〕

オバQが描きはじめられた場所は、当時、中野にあったスタジオ・ゼロです。動画をつくろうと仲間があつまった会社ですが、赤字つづきで月給がはらえず、社長が失業保険で生きているという変な会社でした。〔第10巻〕

一冊また一冊と楽しみながらまとめていくうちに、早くもこれで十一巻。本棚に並べた「オバQ」を手にとって、描いたころを思い出しながら読みかえしていると、いつの間にか自分もまた、読者のひとりになったような気がします。〔第11巻〕

昭和四十一年五十一号『少年サンデー』オバQ最終回。案ができ、ネームが入ると、編集のひとが石森章太郎氏の家へとどけます。返ってきた原稿にはゴジラやよっちゃんの他に、「悲しいですね」と書きそえてありました。〔第12巻〕

昭和44年 虫プロ商事刊『オバケのQ太郎』1〜12巻より  

 

 ■キャラクターづくりの秘密

 ボクたちは、学生時代に見たディズニー映画に影響されて、チャンスがあったらアニメーションもやってみたいという大望を抱いていました。
 その大望は昭和38年、アニメ製作会社スタジオ・ゼロをつくったとき、実現するハズでした。ところが、ボクたちには、動画に必要な根気というものがなく、失格のあげく、雑誌部という部署をつくり、そこの仕事をバリバリやって、アニメ制作がやりやすいようにしようと、折り合いをつけたのでした。
 そして、それを見はからったように、ギャグマンガの依頼がとびこみ、二つ返事で始めたのが、この「オバケのQ太郎」でした。だから、スタジオ・ゼロ雑誌部での初仕事というわけです。
 さて、新連載・予告の締め切り日は突然やってきて、ボクたちをあわてさせました。お化けまんがをかくことは、早くから決まっていたのですが、まだ時間があるわい……とノンビリしているうちに、もう後がないという始末。
 とはいえ、ひき受けた仕事であるからには、つくらなければなりません。プロとはこんなものです(……と、いいながら、いつでもこうなんだと反省)。
 まず、タイトルを考えます。ギャグものは、だいたい主人公の名まえが使われますので、〈オバケの○太郎〉と決定し、○の中にあてはまる文字を探したのです。三太郎、ドン太郎、カン太郎、怪太郎、変太郎など……。しかし、どれも〈コレダ!〉というものがありません。そこで、ひとまず休憩にして、散歩がてらに入った本屋で、Qの字を発見したのです。Q太郎は立読みの中から生まれたのです。
 ここまでくれば、こっちのもの。イメージを浮かべ、顔やポーズをデッサンしてみます。ボクたちは、9種類のQ太郎を描き、消去法によって決定したのです。日本のお化け、西洋のお化けなどからイメージしたものなど、いろいろありました。そして、予告カットはできたのです。
 嵐のような予告・締め切り日が過ぎたと思ったら、すぐ第一回目の締め切りがやってきました。その日、ボクたちは出勤電車の中でアイディアを固め、会社に着くまでに大まかなストーリーをつくりました。それで誕生したのが、髪の毛10本、デブっと太った、少しずうずうしい感じのQ太郎でした。
 このQ太郎が、連載四、五回するうとに、後のスマートでかわいげなお化け・Q太郎になっていったのです。考えながら、計画的に変えたのではないことが不思議です。
 連載の予定は7回でしたが、13回まで延長し、「オバケのQ太郎」はいったん終わりました。読者の反応が、あまりバッとしないからという理由でした。
 それから約一ヶ月、ボクたちがQ太郎を忘れたころ、連載した雑誌の編集長が〈どうしてオバQをやめたのか!またはじめてください〉という、読者のハガキを持って現れたのでした。こんなことは初めてのことでした。でも、うれしかったなあ。
 キャラづくりの話が、つい、思い出話になってしまいました。

昭和58年 小学館刊ビッグコロタン1『藤子まんがヒーロー全員集合』より  

 ※この文章は、語り口の特徴から、安孫子先生によるものと思われます。

 

 ■ありそうもない話をありそうに描きたい

 「オバケのQ太郎」は僕の(正確には僕等の)作品系列の一つ、日常性と非日常性のドッキングという路線を意図的に確立した最初の一本と言えましょう。つまり、ごくありふれた家庭の日常に、非日常その物のオバケがやってきて引き起こす波紋がこの作品の眼目になっているのです。言いかえれば、非日常性の日常化が狙いとも言えます。オバケという非日常的存在を、いかにもそのへんにいるありふれた人物?のように、副主人公である正ちゃんと同列にまで引き寄せて描くというパターンです。同様に「パーマン」はスーパーマンの日常化であり、「怪物くん」は妖怪の日常化、他に宇宙人・オカルト・超能力なども日常化したあげく、現在「ドラえもん」で珍奇な空想的諸道具を日常化しているところです。ふり返ってみると、この手の作品が実に多いのに今更のように驚かされます。
 僕はふしぎな作品が大好きです。超常現象・UFO・雪男・ネッシー…。自分の体験からは大きくかけ離れたこういうふしぎな出来事を追体験したいという衝動は、僕に限らず人間の一般的な傾向として、時代を超えてあったようです。シャリアール王がシェヘラザードを殺すことを一夜延期したのは、彼女の話があまりにもふしぎで面白かったからです。しかも「王さま、次の話はさらにさらにふしぎな物語でございます。」という予告篇につられ、千夜一夜もシェヘラザードのふしぎ話を聞き続けたあげく、とうとう彼女の死刑をウヤムヤにしてしまったほどです。何千年の昔、まだ文字も無かった時代から今に至るまで、世界中の諸民族に語り伝えられてきた民話・伝承は、そのほとんどがふしぎ話であるといっても過言ではありません。神・悪魔・妖精・魔法使い・あるいは人格化された動物などが生きいきと活躍する話です。昔むかしお爺さんが、お婆さんと若い娘と三角関係に落ちて………と言ったリアルな話は一つもないのです。あったかも知れないが残ってはいません。やはり話という物は、現実からの飛躍が大きいほど面白いのです。
 ところが、時代が下って現代に近づくほど、この手のふしぎ話は、そのままの形では通じにくくなってきます。昔むかし、ランプや提灯のころには一寸先の暗闇に、幽霊の存在を実感できたでしょう。ひょっとして、魔神にさらわれた娘の話など、現代の誘拐事件などと同じように、いわばニュースストーリィの形で受けとめられていたかも知れません。今はそうはいかない。テレビのUFO番組など僕は好んで見るほうですが、どうもウサンくさい部分が残ってがっかりすることが多いのです。それでも、いつかは疑う余地のない決定的なシーンを見られるのではないかと、チャンネルをまわし続けています。
 結局、こういうことではないでしょうか。誰でもふしぎな話は聞きたい。ただし、まるっきりの絵空事ではなく、それを身近な、自分のまわりで起きたとしてもおかしくない現実感をもって聞きたい。ありそうもない話をありそうに聞きたい、と言うことだろうと思うのです。
 「オバQ」は、僕自身の中のそんな欲求に応えて生まれたまんがなのです。

昭和56年 小学館刊 藤子不二雄自選集8『オバケのQ太郎1』より  

 

 ■どんな時代にあっても子供の本質は変わらない

 「藤子さんは、近頃の子どもたちをどう思いますか。昔に比べて変ってきていますか。」
 「子どもたちにあったり、子どもに関する調査資料を集めたりしておられますか。」

子ども漫画には、言うまでもなく子どもが登場します。作品の中の子どもたちは、いかにも子どもらしく、活きいきと活躍していなければなりません。読者である子どもたちが、共感を寄せてくれるような子ども像が描かれていなければなりません。作者が頭の中だけで、調査資料などを頼りにでっち上げたニセ子どもなんか、たちまちソッポを向かれてしまうのです。容易ではありません。
 僕等の生活は、一日中机に向かいっぱなし。実際に子どもたちと接触することは、ほとんどありません。また、ちょっとやそっとつき合ってみたとしても「木を見て森を見ず。」となる恐れもあります。彼等の仲間と認めてもらい、心の中に入りこみ、本音の部分に触れようと思えば並なみならぬ努力と時間を要することでしょう。現在の僕等には不可能です。
 それでは何を頼りに子どもを描くか。結局、僕等は僕等自身を自作に登場させているのです。遠い少年の日の記憶を呼び起し、体験した事、考えた事、喜び悲しみ悩みなど…。それを核とし、肉づけし、外見だけを現代風に装わせて登場人物にしています。オバQも正ちゃんもゴジラも木佐くんも、みんな作者の分身です。中身は、昭和一ケタの人間たちなのです。
 中身は変らないとしても、外見は絶えず世の移り変りを追っていかねばなりません。さもないと決定的にズレてしまいますから。どんな遊びが好まれるか。お小遣いの平均値は。一番欲しい物は。将来何になりたいか…。そんな類の情報には、常に気を配っています。ですから一つの作品の中でも、それが長期連載になると世相の推移が盛りこまれることになります。「オバQ」は昭和三十九年春に始まり、二度の中断はありましたが四十六年暮まで続いています。連載の初めのころは円筒だったポストが途中から四角くなり、電柱が木からコンクリートに変り、テレビのブラウン管が角張って、ママのスカートが短くなっています。食欲は最初のうちこそ重要なテーマで、それ故にオバQの一食二十杯という設定も生まれたのですが、末期にはご飯を食べたがらない子のエピソードがでてきます。
 それからさらに十年。目まぐるしく変貌する世相の中で、ドラえもんやのび太だけは、旧態依然として作者の分身なのです。それでもまだ、子どもたちが読み続けてくれることの不思議さ。
 結局、どんな時代にあっても子どもは子ども、底の底を見極めれば、本質は変っていないと言えるのではないでしょうか。最初のご質問に対する答えです。

昭和57年 小学館刊 藤子不二雄自選集9『オバケのQ太郎2』より  

 ■はじめのことば

 みなさん、三年生へ進級おめでとう。わたしがオバケのQ太郎をかく藤子不二雄です。
 オバケのQ太郎はおっちょこちょいで、しっぱいばかりしていますが、いっしょうけんめいよいことをしようとしています。
 みなさんもQちゃんといっしょにわらったりないたり、おこったりしてくださいね。

昭和46年4月号 小学館「小学三年生」より  

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