タイトル

1933(昭和8)年 0歳

12月1日、富山県高岡市に生まれる。本名、藤本弘。

1944(昭和19)年 10歳

高岡市立定塚小学校へ転校してきた安孫子素雄(藤子不二雄A)と出会う。

1945(昭和20)年 11歳

終戦。

1946(昭和21)年 12歳

高岡工芸専門学校中等部電気科に入学。
反射幻灯機を製作。安孫子氏との合作フィルムを製作。

1947(昭和22)年 13歳

手塚治虫の『新宝島』に衝撃を受ける。

1948(昭和23)年 14歳

安孫子氏と共に同人誌『RING』製作。

1949(昭和24)年 15歳

手塚治虫の『ロストワールド』、ディズニーの「白雪姫」に感動、ファンレターを出す。

1950(昭和25)年 16歳

安孫子氏と共に回覧誌『少太陽』を製作。
『漫画少年』『北日本新聞』などに4コマ漫画を投稿。

1951(昭和26)年 17歳

『アサヒグラフ』や『キング』に大人向け漫画を投稿。
「毎日小学生新聞」に投稿した『天使の玉ちゃん』が採用され、デビューを果たす。

1952(昭和27)年 18歳

高校を卒業。
宝塚の手塚治虫氏を訪問。
製菓会社に務めるが、三日で退社する。
ペンネームを「足塚不二雄」に変更。
「少年少女冒険王」に投稿した『西部のどこかで』が採用。

1953(昭和28)年 19歳

依頼の形では初の連載作品『四万年漂流』連載。
初の単行本『UTOPIA最後の世界大戦』刊行。
ペンネームを「藤子不二雄」に変更。

1954(昭和29)年 20歳

漫画家として本格的に活動するため、上京。安孫子氏の親戚の墨田区両国の二畳間に安孫子氏と下宿。
寺田ヒロオ、坂本三郎、永田竹丸、守安なおや、安孫子素雄氏らと「新漫画党」を結成。
手塚治虫の転居後のトキワ荘14号室に入居する。

1955(昭和30)年 21歳

第一次新漫画党解散。
寺田ヒロオ、つのだじろう、鈴木伸一、石ノ森章太郎、赤塚不二夫氏らと第二次新漫画党を結成。

1957(昭和32)年 23歳

テレビ映画の『名犬ラッシー』の漫画を執筆。

1958(昭和33)年 24歳

中野に新漫画党事務所を構える。

1959(昭和34)年 25歳

『海の王子』連載開始。初の週刊誌での連載。
トキワ荘から向かいのウサギ荘に仕事場を移す。
初めてアシスタントを採用する。

1960(昭和35)年 26歳

『ろけっとけんちゃん』『てぶくろてっちゃん』連載開始。

1961(昭和36)年 27歳

川崎市生田に転居。
『すすめロボケット』連載開始。

1962(昭和37)年 28歳

高岡市出身の石本正子さんと結婚。
『とびだせミクロ』連載開始。

1963(昭和38)年 29歳

『てぶくろてっちゃん』で第8回小学館漫画賞受賞。
鈴木伸一、石ノ森章太郎、つのだじろう、安孫子素雄、角田喜代一氏らと共に有限会社スタジオ・ゼロ設立。

1964(昭和39)年 30歳

『オバケのQ太郎』連載開始。

1965(昭和40)年 31歳

『オバケのQ太郎』アニメ化。
スタジオ・ゼロ新宿十二荘に移転。

1966(昭和41)年 32歳

不二家の「オバQとケニアに行こう」キャンペーンで子供達とケニアに旅行。
『パーマン』連載開始。
テレビ映画『丹下左膳』にゲスト出演する。

1967(昭和42)年 33歳

『パーマン』アニメ化。
『21エモン』連載開始。

1968(昭和43)年 34歳

『ウメ星デンカ』連載開始。
異色短編第一作『ミノタウロスの皿』掲載。

1969(昭和44)年 35歳

『ウメ星デンカ』アニメ化。
スタジオ・ゼロの重役として、香港旅行。
『モジャ公』連載開始。
『ドラえもん』連載開始。

1970(昭和45)年 36歳

スタジオ・ゼロ解散。

1971(昭和46)年 37歳

『新オバケのQ太郎』連載開始&アニメ化。
『ドビンソン漂流記』連載開始。

1972(昭和47)年 38歳

ハヤカワ文庫のSF小説の挿し絵を担当。

1973(昭和48)年 39歳

『ジャングル黒べえ』アニメ化&連載開始。
『ドラえもん』TVアニメ化。
『ドラえもん』で日本漫画家協会優秀賞受賞。

1974(昭和49)年 40歳

『バケルくん』『キテレツ大百科』『みきおとミキオ』連載開始。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』刊行。

1975(昭和50)年 41歳

『ポコニャン』連載開始。
少年SF短編第一作『ポストの中の明日』掲載。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』が100万部突破。
手塚治虫氏と共に沖縄海洋博を取材。

1976(昭和51)年 42歳

『みどりの守り神』掲載。
『バウバウ大臣』連載。

1977(昭和52)年 43歳

『エスパー魔美』連載開始。
『カンビュセスの籤』掲載。
「コロコロコミック」創刊。

1978(昭和53)年 44歳

「藤子不二雄の25才を励ます会」開催。
『T・Pぼん』連載開始。
メキシコ・マヤ遺跡を取材旅行。

1979(昭和54)年 45歳

『ドラえもん』2度目のアニメ化。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』が1,500万部突破。
中国(北京・長沙・広州)を取材旅行。
公認ファンクラブ「ユートピア」発足。

1980(昭和55)年 46歳

「のび太の恐竜」公開。
藤子不二雄賞(新人漫画賞)設立。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』が3,000万部突破。
インカ帝国の遺跡とイースター島を取材旅行。

1981(昭和56)年 47歳

「のび太の宇宙開拓史」公開。
『21エモン 2本足で星から星へ』掲載。
『21エモン 宇宙へいらっしゃい』公開。
NHK特集「わが青春のトキワ荘」の撮影のため、トキワ荘で同窓会が開かれる。
藤子不二雄自選集(全10巻)刊行。
川崎市文化賞受賞。
南米に取材旅行。

1982(昭和57)年 48歳

「のび太の大魔境」公開。
「週刊マンガ・ゲラゲラ45」に出演。
「徹子の部屋」に出演。
『ドラえもん』で小学館漫画賞児童部門賞受賞。

1983(昭和58)年 49歳

「のび太の海底鬼岩城」「バードマンがやってきた!!」公開。
『パーマン』2度目のアニメ化&連載再開。
タイのTV局に招待され、タイを訪問。
『ドラえもんヨーロッパ鉄道の旅』にキャラ達と共演。
エジプト、イギリスのネス湖を旅行。

1984(昭和59)年 50歳

「のび太の魔界大冒険」公開。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』が5,000万部突破。
『ドラえもん』で、映画の日特別功労賞受賞。
藤子不二雄ランド刊行開始。
トルコの古代遺跡を取材旅行。

1985(昭和60)年 51歳

「のび太の宇宙小戦争」公開。
『オバケのQ太郎』3度目のアニメ化。
『チンプイ』連載開始。

1986(昭和61)年 52歳

「のび太と鉄人兵団」公開。
『夢カメラ』TVドラマ化。
入院のため大長編ドラえもん休載。
ドラえもん連載打ち切りのデマが全国に広がる。
『赤毛のアン子』TVドラマ化。

1987(昭和62)年 53歳

「のび太と竜の騎士」公開。
『エスパー魔美』TVアニメ化。
『バケルくん』TVドラマ化。
静養のため、大長編ドラえもんの執筆を断念する。
「ドラえもん21世紀まつり」開催。タイムカプセル「ドラ丸くん」が封印される。
TVスペシャル番組『キテレツ大百科』アニメ化。
『のび太と竜の騎士』で、日本アニメ大賞最優秀脚本賞受賞。
安孫子氏とのコンビを解消し、藤子不二雄Fと名乗る。

1988(昭和63)年 54歳

「のび太のパラレル西遊記」「星空のダンシングドール」公開。
コンビ解消に伴い「二人の藤子不二雄を励ます会」が手塚治虫氏主催で開催される。
「夢気球ドラバルくん」と題されたドラえもん型の気球が製作される。
『キテレツ大百科』TVアニメ化。

1989(平成元)年 55歳

「のび太の日本誕生」公開。
ペンネームを藤子・F・不二雄に変更。
舞台「SUKOSHI FUSHIGIもの語り」公演。
川崎市民ミュージアムで「藤子不二雄の世界展」開催。
TVスペシャル番組『T・Pぼん』アニメ化。
『チンプイ』TVアニメ化。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』が6,500万部突破。

1990(平成2)年 56歳

「のび太とアニマル惑星」公開。
オリジナルビデオ『藤子・F・不二雄SF短編シアター』。
ゴールデングロス賞(日本映画最優秀銀賞)受賞。

1991(平成3)年 57歳

「のび太のドラビアンナイト」公開。
『21エモン』TVアニメ化。
『未来の想い出』連載。
ソーラーカー「ソラえもん号」のデザインを担当。
ゴールデングロス賞(日本映画部門優秀金賞)受賞。

1992(平成4)年 58歳

「のび太と雲の王国」公開。
てんとう虫コミックス『ドラえもん』が8,000万部突破。
ご自身も出演した東宝系映画『未来の想い出』公開。
『未来の想い出』のプロモーションのために「EXテレビ」に出演。

1993(平成5)年 59歳

「のび太とブリキの迷宮」公開。
『ポコニャン』TVアニメ化。
NHKの衛星放送番組「藤子・F・不二雄の世界」に出演。
「ウゴウゴルーガ」の「おしえてえらいひと」に出演。
富山県高岡市に「ドラえもんの散歩道」が完成。

1994(平成6)年 60歳

「のび太と夢幻三剣士」公開。
『ドラえもん』中編「ガラパ星から来た男」連載。
「藤子・F・不二雄マガジンドラえもんクラブ」創刊。
ぬいぐるみミュージカル『のび太の恐竜』公演。
第23回日本漫画家協会文部大臣賞受賞。
ゴールデングロス賞(日本映画部門優秀銀賞)受賞。

1995(平成7)年 61歳

「のび太の創世日記」公開。
最後の異色短編『異人アンドロ氏』掲載。
ぬいぐるみミュージカル『のび太の海底鬼岩城』公演。
『モジャ公』TVアニメ化。
「開運!なんでも鑑定団」に出演。『少太陽』の評価額は1200万円。

1996(平成8)年 62歳

「のび太と銀河超特急」公開。
「ドラえもん教育支援基金」をベトナムに設立。
ベトナムを訪問。
9月23日永眠。

1997(平成9)年

「のび太のネジ巻き都市冒険記」公開。
第一回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。

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