タイトル

ペンネームの変遷

  
安孫子
 

 
「ぼくらは、“不二雄”というペンネームを先に作ったの。藤本のフジと、安孫子素雄のオをとって、“フジオ”とした。そして名字をなににしようかと考えたんだ。せめて、手塚先生の足下におよびたいっていうんで、“足”ってつけたの。結構字面も悪くないわけ。結局、単行本『最後の世界大戦』と、「冒険王」の『四万年漂流』、「漫画王」の別冊付録『三人きょうだいとにんげん砲弾』、それに「探偵王」の読み切り一冊ぐらいでやめてしまった。」

石ノ森 

「“足塚”から“藤子”には、なんで変えたの?」

安孫子 

「どう考えてももじりみたいだし、変えようっていうんで……。」

赤 塚 

「藤本の“藤”と安孫子の“子”?」

安孫子 

「そうそう。」

 

小学館刊「藤子・F・不二雄の世界」の「藤本氏の思い出」より抜粋  
  

 藤本 弘昭和25〜26年
 皆さんご存じ、藤本先生の本名ですね。このペンネーム(?)は、デビュー前に「漫画少年」や「北日本新聞」「富山新聞」などに作品を投稿していた時代に使われました。当然安孫子先生は「安孫子素雄」で投稿していました。
 主な作品 『時の記念日』『ダンゴ仙人とたなばた』『はかられたか!』
 手塚不二雄昭和26年
 漫画の神様、手塚治虫先生の名前をそのままいただいたペンネームです。「キング」や「サンデー毎日」といった大人向け雑誌に投稿していた時代に使われていたことが多いようです。
 主な作品 『ギョッ』『天狗昇トビキリ』『大奇術』
 あびこもとお・ふじもとひろし昭和26〜27年
 「毎日小学生新聞」に投稿し、みごと採用されて連載となった『天使の玉ちゃん』でのペンネームです。といっても本名そのまんまですね。この作品は藤本・安孫子先生のデビュー作になります。
 主な作品 『天使の玉ちゃん』
 牛塚不二雄昭和27年
 「アサヒグラフ」に投稿して採用された作品『遺作』での名前ですが、恐らく誤植と思われます。ただ、正解は「手塚」なのか「足塚」なのかはこれらの移行期の間であるため、分かりません。
 主な作品 『遺作』
 足塚不二雄昭和27〜28年
 漫画家として本格的に活動を始めた時期に使われ始めたペンネームです。あの有名な『UTOPIA 最後の世界大戦』もこの名義で発表されました。
 主な作品 『西部のどこかで』『三人きょうだいとにんげん砲弾』『最後の世界大戦』
 やまもとよしお昭和32年
 こちらは本名とは何の関連もないという、非常に珍しいペンネームです。しかも使われたのは「幼年クラブ」という雑誌に掲載された『ゆうれいやしき』のみです。同誌に連載されていた『しゃっくり丸』と被らせないためなのでしょうか。
 主な作品 『ゆうれいやしき』
 藤子不二雄昭和28〜62年
 もっとも使用された期間が長く、かつもっとも有名なペンネームですね。藤本先生の作品で有名なものはほとんど全てこの名義で発表されています。
 主な作品 『オバケのQ太郎』『パーマン』『21エモン』『ウメ星デンカ』『エスパー魔美』
 藤子不二雄F昭和62〜63年
 昭和62年12月、安孫子先生とのコンビを突然解消した藤本先生が約一年間使われていたペンネームです。Fは当然「藤本」の頭文字ですね。安孫子先生はこの時のペンネームをずっと使われることになります。
 主な作品 『藤子不二雄Fまんがゼミナール』『のび太の日本誕生』
 藤子・F・不二雄平成元年〜
 『のび太の日本誕生』連載第6回から突然変更されたペンネームです。このペンネームは同じトキワ荘仲間の故・石ノ森章太郎氏の提案によるものだと、石ノ森氏が語っています。
 主な作品 『のび太とアニマル惑星』以降の大長編『未来の想い出』『異人アンドロ氏』


←こんなマークをご覧になったことはありませんか?異色短編のラストのコマの隅や、サインなどによく見られます。これは「藤子不二雄」のマークです。
「M」が富士山を、「O」が湖を表していて、会わせて「ふじこ」となるわけです。

→そしてこちらはコンビ解消後藤本先生が使われていたマークです。元のマークは安孫子先生が使用されています。

 

 

 

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