タイトル

 ■家族の一員としての“妖精”

小松左京 (作家)   

 「オバケのQ太郎」から「ドラえもん」まで、藤子さんの作品は、終始一貫子供を中心とした、明るくて健全な日常性がテーマになっている。これは実にめずらしいことだ。
 ところが、明るくて健全な日常性をベースにしたまんがは、強くて、かっこいいキャラクターやおどろおどろしい世界でひっぱっていく刺激の強いまんがにくらべた場合、意外にもの足りなさを読者に感じさせがちである。事実、戦後、日常性に立脚したまんがの多くは、刺激の強いまんがとの人気競争で消えていった。
 しかしながら、藤子さんは、過去に刺激の強いまんがを描く機会があったのではないかと思われるが、現在に至るまで子供にとってわかりやすい日常性というテーマをくずしていない。それでいて、たくさんの読者を熱狂させていることは、まさに驚異に値する事実ではないだろうか。
 特に「ドラえもん」は、退屈で平板な日常の中に、子供自身が持っているイマジネーションを働かすだけで、いろいろな楽しい世界がいくらでもあることに気づかせてくれるまんがである。この無限に広がる想像力は、刺激の強いまんが以上に、子供におもしろさ、楽しさを与えて、子供を虜にしてしまう。ドラえもんにとって、このことが読者を強力に引きつける魅力になったのではないだろうか。
 日常性をテーマにまんがを描くことは、大変むずかしく、熟練したテクニックを必要とすることは確かだが、藤子さんはこの世界が性に合っているみたいだし、一番大切なことだと考えているようだ。
 藤子さんのもう一つの魅力は、オバケとか未来から来たロボットが、ごく自然に日常生活の一員になっていることである。オバQの時は、人間とちょっとケタの違うところが、魅力だったけれど、ドラえもんの場合は、ポケットからいろんな道具を出したり、タイムマシンで時空を越えたり、どこでもドアで別世界に行ったりする。「家族の一員としての“妖精”」というのは、まさに二十世紀後半的で、そのアイディア、おもしろさ、題材からして、見事にSF的だといえよう。
 これらの様々なSF的小道具の導入は、いろんな冒険やシチュエーションの要素を大きく拡大し、まんがの奥行きを深いものにしている。
 ドラえもんは、このSF的小道具の導入と日常性が自然にからみ合い、おとなしくなりがちなまんがそのものを、生き生きとしたすばらしい作品にしているといっても過言ではない。
 こういった基本的に大事なものをコツコツと守り続けてきている藤子さんの創作姿勢こそ、ながい人気の持続につながっており、一つの魅力の支えになっているのではないかと思う。それは、とりもなおさず、子供の世界に奇異をてらった激しさでなく、普遍的で明るく活気にみちた風俗まんがを確立させる要因となったのではないだろうか。

1982年 「藤子不二雄自選集1 ドラえもん SFの世界1」より

 メール ホーム  (C) copyright 1997-1999 Junichi T