ぼくにとってのSFを考えてみよう

 

 

  

 昔むかし、といっても、ぼくがまんが家になる以前のことです。そのころ、読んだり見たりしていた小説やまんが、映画を考えてみると、リアルな話、それはそれでおもしろかったのですが、それ以上に、変わったお話、奇妙なお話が大好きでした。好きなものを読み、好きなものを見ていたのですが、後に、まんが家となってからも、その延長なのか、描きたいものを描いてきているようです。その結果として、いわゆる「SF」と呼ばれているジャンルに近いものができあがったということです。

 しかし、ぼくにとっての「SF」は、以前にもどこかで書いたことですが、サイエンス・フィクションではなくて、「少し不思議な物語」のSとFなのです。現実では考えられない突飛な思いつきというのが、その前提ということなのですが、その点からいって、ぼくの内部では、中国の古典『西遊記』も、中近東の昔話『アラビアンナイト』も、ブラッドベリ、アシモフの一連の作品も、一線にならんでしまうのです。

 突飛な思いつきと書きましたが、かならずしもそれだけではなく、日常のありふれたできごとも、ちょっと視点を変えてみると、この「少し不思議な物語」が誕生します。たとえば、最初は普通の人間の視点でながめていたものを、ある時点から吸血鬼の視点に乗りかえてみた時、その転換が一つのSF的なファクターとして働くのではないかと実験してみたのが、あの『流血鬼』という作品です。また、現在の日常茶飯事をそのまま未来世界に持ちこみ、そこを舞台にあまりパッとしない子どもを主人公に登場させたのが『21エモン』というわけです。さらに、ジュール・ヴェルヌの名作『十五少年漂流記』の宇宙版ができないかと考えたのが『宇宙船製造法』ということになります。

 こんな具合に、いわゆる「SF」という定義にとらわれることなく、題材として、突飛なものでも、とくに新鮮なものでなくても、ぼくなりの見方で短篇としてまとめられないかと描いてきたのが、この短篇シリーズなのです。その結果が、はからずも「SF」のあらゆるジャンルをとりこんでしまったということでしょうか。

1989年 中央公論社刊 藤子不二雄ランド VOL.227 「少年SF短篇2 創世日記」より

 


 

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