まえがき

 

 

 

(注1)
「猿後家」
 先生自身「はっきり覚えていない」とおっしゃっているが、この元になった民話が「猿後家」というのは恐らく先生の記憶違いであろう。「猿後家」というのは落後の話の1つで、「ミノタウロスの皿」と重なる点は全くない。

 

(注2)
「ウエストワールド」
 1973年、アメリカ映画。マイケル・クライトン監督、脚本。原題「WESTWORLD」。本物そっくりの人間や動物のいるデロス・ランド。そこは、人間の欲望を満たす一大レジャーランドだ。が、ある日、コンピュータが故障しロボットが反乱を起こす。

 

(注3)
「ソイレント・グリーン」
 1973年、アメリカ映画。原題「SOYLENT GREEN」。西暦2022年、地球上には人間があふれ、食料不足と大気汚染に悩まされていた。折から、ソイレント・グリーンという新しい食料が生産され始めるが、それは人間の死体を加工して作った食料だった…。

 

(注4)
「アンドロメダ病原体」
マイケル・クライトン著。1971年には「アンドロメダ…(原題「THE ANDROMEDA STRAIN」)」というタイトルで映画化された。ニューメキシコの片田舎に人工衛星が落下。近くの町は、赤ん坊とアル中の老人を除き死滅してしまった。彼らだけが助かったのはなぜか?衛生に付着し、宇宙からやってきた病原体と、科学者たちの死闘が始まる…。

 

 昭和四十四年でした。一時期ブームを呼んだ「オバケのQ太郎」がブラウン管を去り、雑誌連載も終了し、続く「パーマン」も意外に短命。「21エモン」「ウメ星デンカ」、これが作者としては大いに肩入れして書いたわりには読者の反応がイマイチで……。不思議なものです。時の流れに乗ったときには何をやってもうまくいくし、一度外れるとどんなに力投してもずっこけるという。世は挙げて劇画ブーム。コミック読者の主流が、子どもを離れて大学生、サラリーマンにまで広がり、こうなると昔ながらの生活ギャグマンガなどかったるくて、というわけです。祭りの後の淋しさというか、はっきり言って落ちこんでいた時期でありました。

 当時の『ビッグコミック』編集長小西さんが、ひょっこり顔を見せて一本書いてみろというのです。「冗談じゃない。書けるわけがない。ぼくの絵を知ってるでしょ。デビュー以来子どもマンガ一筋。骨の髄までお子さまランチなんだから」いや、それでいいから書いてみろという。とにかく強引な人なのです。話してるうちにだんだんやれそうな気になってきました。「たとえば、こんな話なんかどうです」と小西さんの話してくれたのが民話です。「猿後家」(注1)でしたか。はっきり覚えていないけど、民話特有の残酷な小話でした。「面白そうですね。それ、なんとかやってみましょう」と書いたのが「ミノタウロスの皿」でした。元の話とは全く何のつながりもないけれど、触発されて書いたことは事実です。

 これが意外に、実に実に意外に好評でした。自分にもこんなものが書けるのかという、新しいオモチャを手に入れたような喜びがありました。翌四十五年「ドラえもん」連載開始。誰にも注目されず、ひっそりとスタート。そこへ『SFマガジン』から依頼がありました。実は“SF”には少年時代からの、空想科学小説と呼ばれていたころからの激しい思い入れがありまして、『SFマガジン』も創刊以来の愛読者だったわけです。こんな不思議な小説を書けるなんて、SF作家は偉いなあと、はるかに仰ぎ見ていたのですが、なんと、その聖域から依頼があったということで仰天しました。思いおこせば二十年前、初めて『漫画少年』に投稿マンガが入選したときのような喜びでした。自信は無いが、せっかくのチャンスだからと、書いたのが「ドジ田ドジ郎の幸運」です。幸いに編集長からはおほめの言葉を頂きました。

 以来二足のわらじを履いています。ところでこのわらじ、はた目には全く異質の物に見えるらしい。よく言われるのです。“たとえば「カンビュセスの籤」なんか読むと、これが「オバQ」、「ドラえもん」の作者の書いた物とは思えないんですがね”たしかに、こうやって全集にまとめてみると、ばかにシリアスで重苦しくて暗い話が多いのですね。ふだん書いている明るい楽天的な生活ギャグマンガとは、はっきり対照的な位置にあります。別に意図して深刻ぶっているわけではないのですが、いわば浮気の楽しみとでもいいますか。たまにホームグラウンドを出た時ぐらい、ふだんやれないような変わったことをしてみたい。ひなたの物を、時には日陰から見てみたい。ハメを外して、どうせ旅の恥ならかき捨てたっていいじゃないかという、そんな心理だと思います。柄でもないまねをして失敗することもありますが。

 しかし、SF─日常性からはみ出した異常な話─と考えれば、これは「オバQ」「ドラえもん」と根は一つなのです。そもそもぼくたちがマンガに惹かれた最大の要素が、この“日常性からのはみ出し”にあったのです。ぼくらに限らず、おおげさにいえば人間は皆、日常性から飛躍した不思議な話が好きなんだと断定していいのではないでしょうか。何よりの証拠が世界中に古くから伝えられてきた神話、民話、伝承です。文字の発明以前から連綿と語り継がれたこれらは、全て神や精霊や魔物が活躍し、動物や草木がしゃべり、生と死の世界が交錯する不思議な話ばかりです。古代人の世界にも三角関係とか家庭内暴力とかあった筈なのに、そんな日常茶飯のニュースストーリーは全く残っていません。これはつまり聴衆にウケなかったから語られなかったと考えざるを得ないのです。

 ぼくたちもグリムやアンデルセン、「アラビアンナイト」や「西遊記」が好きでした。「のらくろ」や「冒険ダン吉」に夢中になりました。山中峯太郎、南洋一郎、海野十三に熱中し、国民学校六年生の夏に終戦を迎え、それぞれ中学(旧制)に進学し、そろそろ空想の世界ばかりに浸ってもいられないという時期に、巡り合ったのが「新宝島」なのです。新鮮な衝撃でした。この衝撃の大きさは、いくら具体的に説明しても経験した人でなければ通じないと思います。今、復刻版を読んでもダメです。あの時代まで遡り、ぼくらと同じ年代になって読んで貰わねば、到底実感できないでしょう。以後、年間八冊ほどのペースで刊行される手塚マンガに、ぼくらは本当にのめりこんだものです。一冊ごとに、新しい世代がありました。地底に密林に、大宇宙に未来社会に、繰り広げられる大冒険。人間の空想力に限界はないのだなと、つくづく感じ入ったようなわけです。こんなマンガをぼくらも書いてみたいと思いました。そして二人で肉筆同人誌を作ったのが二人のマンガ史の始まりです。この思いは今も変わりません。だから、ぼくらのマンガには、デビュー作の「天使の玉ちゃん」以来、ほとんどの作品に空想的な部分が大きな比重を占めています。「オバQ」も「ドラえもん」も「カンビュセスの籤」も、一言でいえば不思議話です。根は一つです。表現法が少しばかり違うだけなのです。

 SFといっても、書き始めた動機が動機ですから、どっちかと言えばF(フィクション)の部分に重点が置かれ、S(サイエンス)についてはかなり弱いのです。あやふやな知識や勘違いなどもあるかもしれません。ですから“SF全短篇”と銘打ってはありますが、SF風現代アラビアンナイトとでも受けとっていただければ幸いです。

 話はガラリと変わりますが、かねて機会があれば言いたかった弁解を一つ。収録作品中の「休日のガンマン」と「定年退食」についてです。「休日のガンマン」は昭和四十八年、『ビッグコミック』に発表した物ですが、書き終えて間もなくユル・ブリンナー主演「ウエスト・ワールド」(注2)の試写を見ました。そして、あまりの類似にゲッソリしたものです。単に作品として発表した部分だけでなく、アイディアとしてはあったのですが頁数の都合で省略した時代劇ブロックまでが、映画にはちゃんとあるのです。もちろん偶然の一致です。試写を見るまではこの映画の存在も知りませんでした。参ったなあと思っていたら、次は「ソイレントグリーン」(注3)です。これ又、少し前に書いた「定年退食」にそっくり。安直にマネしたと、読者に受け取られても仕方のない状況でした。今もそう思っている人たちに声を大にして言いたい。絶対に絶対に盗作な゛ではありません!

 しかし、立場を変えて考えれば、藤子SFを読んで、してやられたと思っている人たちもいるかもしれない。人間の考えることなど似たような物です。「アンドロメダ病原体」(注4)を見て、似たような話を高校のころ作ったことを思い出しました。早く書いとけば良かったと思っても後の祭り。早い者勝ちの世界ですからね。実はこの数年、SF短篇から遠ざかっています。レギュラーに追いまくられて手を出せない状況もあるのですが、こうしてる間にも優秀な若手がどんどん育ってきて精力的に作品を発表しているわけです。こっちの書く物が無くなってしまうのではないかと心配です。何とか二、三年の内に態勢を立て直し、SF短篇の世界にカムバックしたいものと密かに考えている今日このごろであります。

1987年 中央公論社刊 愛蔵版 藤子・F・不二雄 SF全短篇
第1巻「カンビュセスの籤」まえがきより

 


 

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