タイトル

 

 ■吉本ばななとの対談より■


藤子派の正統を守ると自負している身としては、やっぱりオバQやドラえもんのキャラクター誕生の秘話をお聞きしたいところです。

あちこちでいろいろと喋っていることでもあるんですが、オバQについてはもともとおばけが大好きだということが下地としてありましたね。で、つのだじろう君って、いまはオカルトの専門家になっちゃったけど、彼の結婚式のスピーチで、おばけのことを話しちゃったんだ。結婚式とおばけって余り関係ないんだけど。

■どっちかというと、よくないんじゃないですか(笑)。

それを少年サンデーの編集の人が聞いていて、だいぶ経ってから「おばけの漫画ひとつ描いてくれないか」って注文があったんです。どんなおばけかそれは一切任せる、と。
 で、ちょうどその頃、ぼくたちはスタジオゼロというアニメの会社をつくってヒーヒー言ってたんだ。会社といったって、石ノ森章太郎とか赤塚不二夫とかアニメが好きだというだけで参加してきただけだから経営もなにもない。ヒラ社員が一人で重役が七人という変な会社でした(笑)。
 そこに雑誌連載の依頼が来た。さあー大変だ、と思うんだけど、まあお尻に火がつくまで頭が回転しない。そこで思い出したのが、おばけの話。ともかく、それで行こうと。とりあえずおばけのデザインを和風ぽいのから西洋風まで七つほど考えて、あとは担当の人にいいのを選んでって100パーセント下駄を預けちゃった。それで選ばれたのがオバQの原型なんです。

■Q太郎というネーミングもユニークでした。

とりあえず『おばけの○○』にしようとは決めておいたんですが、ある日「太郎」というのがダサい印象でこれにアルファベットをつけたら面白いんじゃないか、と思いついたんです。でも、かんじんの第一回目のストーリーが思いつかない。相棒の安孫子ともどもその時は必死。小田急に乗って新宿に着くまでの勝負でした。ともかく、子供たちが遊んでるところへ変なものが来て仲良くなる。じゃ、子供たちが当時何をして遊んでいたかというと、たまたま山田風太郎さんの忍者小説が大ブームで、忍者ごっこが蔓延してたんです。だったら子供たちが忍者ごっこをしているところに、おばけを出しちゃおう。それから、普通の生まれ方じゃつまらないから卵からかえすことにする。まあ、非常に安直な発想で話をバタバタ決めて、あとはもう総力戦。おばけ一家を僕が全部描く、正ちゃんとシンイチ君を安孫子が描く、その他大勢を石ノ森氏が担当して、背景は『釣りバカ日誌』の北見けんいち君が描く。そういうスタートでした。

■ワーッ、豪華なキャスティング。(本を見て)ほんとだ、言われてみると、後ろの人たちは石ノ森先生の絵だ。でも、先生、単行本にする時、描き直しをされたりするんでしょう。

オバQの髪の毛も一回目は意識的に残したんですが、あとのは三本に統一したんです。あれは描いているうちに、ひとりでに三本になった。オバQって、確かにこちらがつくり出したキャラクターには違いないんだけれど、それを一所懸命紙に写そうと努力していくうちに、あるべき姿に収まってくるんですね。
 固まってくると、大きい口なんだからさぞかし食いしん坊だろうし、大きな目玉じゃ隠しごともできないだろうと、自ずから性格づけも決まってくるわけです。

■オバQのガールフレンドのU子さん、あれも変わったキャラクターでしたね。

Q太郎にもマドンナ役をという……。

■よりによって、あんなタイプじゃなくても(笑)。

思いつきからスタートしても自然にキャラクターが絵から決まってくる面が、そこにもあったんですよ。やっぱり、不思議なキャラクターになっちゃった。

(中略)

■よく考えてみると、Qちゃんが同じ部屋にいたらすごい異様なことじゃないですか(笑)。そうなんですけど、みんなあんまりそう思っていないんだろうな、というのが伝わってくる。そのあたりが気持ちとしてわかるんです。

ああいうのを描いててむずかしいのは、オバQが町に出ると、みんな「オバケだあ」といって逃げる。そういうのを繰り返し描くのがわずらわしくなったので、しまいにはオバQのイメージが町の人は関係なしに、読者がその存在に驚かなくなったら町の人も驚かないことにしよう、そういう感じにしたんです。

「コミック'94」 1994年 吉本ばなな氏との対談    
「おおげさじゃなくてまんがが私を救ってくれました」より

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