タイトル

 

■どんな時代にあっても子供の本質は変わらない■

 
 「藤子さんは、近頃の子どもたちをどう思いますか。昔に比べて変ってきていますか。」
 「子どもたちにあったり、子どもに関する調査資料を集めたりしておられますか。」

子ども漫画には、言うまでもなく子どもが登場します。作品の中の子どもたちは、いかにも子どもらしく、活きいきと活躍していなければなりません。読者である子どもたちが、共感を寄せてくれるような子ども像が描かれていなければなりません。作者が頭の中だけで、調査資料などを頼りにでっち上げたニセ子どもなんか、たちまちソッポを向かれてしまうのです。容易ではありません。

僕等の生活は、一日中机に向かいっぱなし。実際に子どもたちと接触することは、ほとんどありません。また、ちょっとやそっとつき合ってみたとしても「木を見て森を見ず。」となる恐れもあります。彼等の仲間と認めてもらい、心の中に入りこみ、本音の部分に触れようと思えば並なみならぬ努力と時間を要することでしょう。現在の僕等には不可能です。

それでは何を頼りに子どもを描くか。結局、僕等は僕等自身を自作に登場させているのです。遠い少年の日の記憶を呼び起し、体験した事、考えた事、喜び悲しみ悩みなど…。それを核とし、肉づけし、外見だけを現代風に装わせて登場人物にしています。オバQも正ちゃんもゴジラも木佐くんも、みんな作者の分身です。中身は、昭和一ケタの人間たちなのです。

中身は変らないとしても、外見は絶えず世の移り変りを追っていかねばなりません。さもないと決定的にズレてしまいますから。どんな遊びが好まれるか。お小遣いの平均値は。一番欲しい物は。将来何になりたいか…。そんな類の情報には、常に気を配っています。ですから一つの作品の中でも、それが長期連載になると世相の推移が盛りこまれることになります。「オバQ」は昭和三十九年春に始まり、二度の中断はありましたが四十六年暮まで続いています。連載の初めのころは円筒だったポストが途中から四角くなり、電柱が木からコンクリートに変り、テレビのブラウン管が角張って、ママのスカートが短くなっています。食欲は最初のうちこそ重要なテーマで、それ故にオバQの一食二十杯という設定も生まれたのですが、末期にはご飯を食べたがらない子のエピソードがでてきます。

それからさらに十年。目まぐるしく変貌する世相の中で、ドラえもんやのび太だけは、旧態依然として作者の分身なのです。それでもまだ、子どもたちが読み続けてくれることの不思議さ。

結局、どんな時代にあっても子どもは子ども、底の底を見極めれば、本質は変っていないと言えるのではないでしょうか。最初のご質問に対する答えです。

昭和57年 小学館刊 藤子不二雄自選集9『オバケのQ太郎2』より

 

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