タイトル

 

 ■藤子不二雄さんにきく■

 
■「オバQ」なんか、少年も出てくるけど、お父さんやお母さんも出てきて、非常に心が大きいでしょう、来てもいいんじゃないか、同居させとけ、という感じでね。ああいう発想は、藤子さんご自身の中にああいう気持ちがあるんでしょうか、それとも願望として描かれているんでしょうか。

やっぱり、願望のほうでしょうね。いまからすると、かなりズレた感覚かもしれないんですけど、家父長的なすごい厳格なおやじでもなく、さりとて子どもに変に気を使うおやじでもなく、いるだけでお父さんという感じの、そういう理想おやじのイメージがあるものですから、それがいつも出てくるんですね。カーディガンよりドテラを着たほうが似合うおやじなんです。そういうおやじがいまいるかどうかわかんないですけどね。
 たまには神経質なお父さんを描こうと試みるんですけど、成功しないんです。だんだんそうじゃなくなってくるんですよ。
 どうも、ぼくの中に、家庭というものは平凡なもので、安住の地というイメージがあって、それからどうしても抜け切れないんですね。それを壊すのは怖いし、またいやなんですよ。

(中略)

■執筆の前に綿密な計算はやらないわけですか。

ほとんどやらないですね。ぶっつけ本番というか、即興的というか……。
 たとえば「オバQ」の場合、予告のためのカットを描いてくれといわれて、大急ぎで、七つぐらいのオバケを描いたんです。悪魔みたいなのもあれば、日本ゆうれいみたいなものもあれば、いろいろあるわけですよ。迷っちゃって結局、編集部に「この中からいいのを選んで載っけてください」とゲタを預けたんですね。それがあの「オバQ」ですよ。
 そうすると、絵のほうが性格を規制してくるということになるんです。この顔を見るとどうみてもこのおばけは神経質ではない、かなり鈍感だな。デッカイ口だから、まず大食いであろう。あんまり才たけた感じはないからドジなやつだろう、と。そういうふうにして、だんだんキャラクターが固まっていくわけですよ。
 ある程度すると、キャラクターが勝手に一人歩きを始めて、アイディアを考えるのも、こういう局面に立った場合はこう行動するだろう、というふうに引きずられていきますね。そういうふうに、キャラクターが一人歩きをしてくれるようになると成功といえます。
 「オバQ」も、最初のころは無神経という感じだったけど、一年経つとかわいらしさが出てきて、同じ無神経でも違ってくるんですね。ここはちょっとこうしようとか、そういうことは全く考えないで、ギャグだけで考えていってもそうなっていくんですよ、不思議と。それがおもしろいところですね。
 失敗するキャラクターというのは、こっちがああしよう、こうしようと思ってても、なかなか言うことを聞かないで、しまいにはにっちもさっちもいかなくなってやめちゃうということになるんですね。

1978年 清山社「藤子不二雄マンガの魅力」 著者・倉田 新氏との対談より

 

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